桂庵玄樹是什么意思(中文簡介)
日本室町后期的禪僧、儒學家,薩南學派的始祖。少時在京都南禪寺修學,16歲削發(fā)入寺,道號桂庵。1467年(日本應仁元年,中國明成化三年)赴中國。長期居住在蘇州、杭州,潛心學習朱子學。1473年學成歸國。在日本的筑后、肥前、薩摩等地講授儒學。著有《家法家典》、《大學章句》。
桂庵玄樹是什么意思(日文簡介)
1427-1508 室町-戦國時代の僧。
応永34年生まれ。臨済(りんざい)宗。南禪寺の景蒲玄忻(けいほ-げんきん)の法をつぐ。応仁(おうにん)元年明(みん)(中國)にわたって朱子學をまなぶ。帰國後,薩摩(さつま)(鹿児島県)島陰寺で朱子學をおしえ,文明13年伊地知(いじち)重貞とともに朱子の「大學章句」を刊行。薩南學派の祖とよばれる。永正(えいしょう)5年6月15日死去。82歳。周防(すおう)(山口県)出身。別號に島陰。著作に「島陰漁唱」「桂庵和尚家法倭點」など。
応永34年生まれ。臨済(りんざい)宗。南禪寺の景蒲玄忻(けいほ-げんきん)の法をつぐ。応仁(おうにん)元年明(みん)(中國)にわたって朱子學をまなぶ。帰國後,薩摩(さつま)(鹿児島県)島陰寺で朱子學をおしえ,文明13年伊地知(いじち)重貞とともに朱子の「大學章句」を刊行。薩南學派の祖とよばれる。永正(えいしょう)5年6月15日死去。82歳。周防(すおう)(山口県)出身。別號に島陰。著作に「島陰漁唱」「桂庵和尚家法倭點」など。
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