山崎宗鑑是什么意思(中文簡介)
山崎宗鑒(?--1553),近江人,本姓志那,名彌三郎范重。日本連歌師,生于近江國的武士之家,由于出家后居住京都山崎,人稱山崎宗鑒。其在俳偕連歌的發展上做出貢獻,被認為是俳偕的創始者。有與宗長等人是俳諧三祖之一,其共編有的俳偕連歌集《犬筑波集》。
山崎宗鑑是什么意思(日文簡介)
?-? 室町-戦國時代の連歌師,俳人。
山城(京都府)の山崎にすんだので,その名でよばれる。はじめ宗祇(そうぎ)らと連歌をつくる。滑稽(こっけい)機知の句風にむかい,俳諧(はいかい)撰集「犬筑波(いぬつくば)集」を編集。宗長,荒木田守武らとまじわり,俳諧創始者のひとりとされた。宗鑑流の書でも知られる。出自,経歴などには諸説あり,天文8年(1539)または9年に77-86歳で沒したという。
【格言など】宗鑑はいづくへ行くと人問はばちとようありてあの世へといへ(辭世)
山城(京都府)の山崎にすんだので,その名でよばれる。はじめ宗祇(そうぎ)らと連歌をつくる。滑稽(こっけい)機知の句風にむかい,俳諧(はいかい)撰集「犬筑波(いぬつくば)集」を編集。宗長,荒木田守武らとまじわり,俳諧創始者のひとりとされた。宗鑑流の書でも知られる。出自,経歴などには諸説あり,天文8年(1539)または9年に77-86歳で沒したという。
【格言など】宗鑑はいづくへ行くと人問はばちとようありてあの世へといへ(辭世)
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