島津貞久是什么意思(中文簡介)
島津貞久,文永6年4月8日(1269年5月10日)-貞治2年/正平18年(1363年8月12日),鐮倉時代、南北朝時代武將。
島津貞久是什么意思(日文簡介)
1269-1363 鎌倉-南北朝時代の武將。
文永6年生まれ。島津忠宗(ただむね)の長男。島津氏5代。文保(ぶんぽ)2年(1318)薩摩(さつま)守護職をつぐ。正慶(しょうきょう)2=元弘(げんこう)3年足利尊氏の倒幕の呼びかけに応じ,少弐貞経(しょうに-さだつね),大友貞宗とともに挙兵し,鎮西探題赤橋英時(ひでとき)を討つ。功により,日向(ひゅうが),大隅(おおすみ)の守護職を得る。南北朝対立後も,尊氏にしたがい南朝方とたたかった。貞治(じょうじ)2=正平(しょうへい)18年7月3日死去。95歳。
文永6年生まれ。島津忠宗(ただむね)の長男。島津氏5代。文保(ぶんぽ)2年(1318)薩摩(さつま)守護職をつぐ。正慶(しょうきょう)2=元弘(げんこう)3年足利尊氏の倒幕の呼びかけに応じ,少弐貞経(しょうに-さだつね),大友貞宗とともに挙兵し,鎮西探題赤橋英時(ひでとき)を討つ。功により,日向(ひゅうが),大隅(おおすみ)の守護職を得る。南北朝対立後も,尊氏にしたがい南朝方とたたかった。貞治(じょうじ)2=正平(しょうへい)18年7月3日死去。95歳。
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