兼明親王是什么意思(中文簡介)
兼明親王,日本平安時代中期的公卿及皇族。
兼明親王是什么意思(日文簡介)
914-987 平安時代中期,醍醐(だいご)天皇の皇子。
延喜(えんぎ)14年生まれ。母は藤原淑姫(よしひめ)。臣籍にはいって源姓をあたえられ,大納言をへて天祿(てんろく)2年左大臣にすすむ。貞元(じょうげん)2年従兄の藤原頼忠を左大臣にしようとした関白藤原兼通の策謀により親王とされ,二品(にほん)中務卿(なかつかさきょう)におとされた。詩文「菟裘賦(ときゅうのふ)」をのこす。永延元年9月26日死去。74歳。字(あざな)は謙光。通稱は小倉親王,前中書王。
延喜(えんぎ)14年生まれ。母は藤原淑姫(よしひめ)。臣籍にはいって源姓をあたえられ,大納言をへて天祿(てんろく)2年左大臣にすすむ。貞元(じょうげん)2年従兄の藤原頼忠を左大臣にしようとした関白藤原兼通の策謀により親王とされ,二品(にほん)中務卿(なかつかさきょう)におとされた。詩文「菟裘賦(ときゅうのふ)」をのこす。永延元年9月26日死去。74歳。字(あざな)は謙光。通稱は小倉親王,前中書王。
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